ヒロ、勇者2回目まだまだレベル5

辛いことやしんどいことはもうこりごり、バツ1シングル第2の人生雑記

我慢は美徳って日本人だけじゃないの

 

我慢は美徳?

 

 

一昔前までは美徳だった

 

日本人が我慢を美徳とするようになったのは、歴史的、文化的な背景が複雑に絡み合った結果

 

儒教の影響

江戸時代、日本社会は儒教の影響を強く受けた
儒教では、社会秩序を維持するために、個人の欲望を抑制し、社会規範に従うことが重要と考えられていた


代表的な儒教思想である「論語」には、「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」といった、我慢を推奨する言葉も多く見られる

 

武士道精神

武士道精神は、武士階級の倫理観として江戸時代に発展
武士は、名誉を重んじ、死を恐れず、苦難にも耐える精神が求められた

 

こうした精神は、我慢強さという形で現代の日本人にも受け継がれている

 

 自然災害

日本は地震や台風などの自然災害が多いため、人々は古くから自然の脅威に立ち向かいこうした経験から、困難に耐え忍ぶ忍耐力が培われた

 

社会環境

かつての日本社会は集団主義的な傾向が強く、協調性を重視する文化があった
そのため個人の感情を抑え、周囲に合わせることを求められる場面が多かった

 

現代社会への影響

現代社会においても、我慢は美徳とされる場面が多きあるような
例えば、仕事で長時間労働や残業を当たり前のようにこなすことや、満員電車での通勤ラッシュを我慢するなど

 

近年は、個人の幸福や多様性を尊重する考え方が広まりつつあるから、我慢することだけが善であるという価値観は変化しつつあるように思う

 

しかし、日本人の根底には、歴史や文化によって培われた我慢強さという精神が依然として息づいているのではないかと

 

我慢して生きるのは、もうやめよう

 

我慢している認識があればいいけど

 

我慢している認識がないと 何となくしんどくなる

 

仕事の長時間労働や朝のラッシュも みんなも同じだしこれが普通だし、と思うことで納得してしまっていることも多いと思う

 

そうなると よほどイヤな思いをしない限り 我慢していること自体意識しなくなる
脳内で自動化プログラムが働いて疑うこともないから 我慢していることも認識しなくなり これが普通だと思うようになったりする

 

自分の行動や感情を 客観的に認識するのが苦手な人は 実は我慢してることにも気づいにくい

 

我慢に対する認識は、個人の性格や経験によっても異なるので、我慢することに慣れている人は、我慢していることを意識しにくい傾向もある

 

我慢して生きるほど人生は長くない

 

我慢している認識がないと

 

そりゃあ 溜め込んでしまう
溜め込み過ぎて キャパが一杯になってパチンと弾ければわかりやすいけど バイヤスがかかっていると 弾けることも出来ない可能性もある

 

自分の母親は 典型的なこのタイプだったのではないかと思う

 

母親が お嫁さんの料理を隠れて捨てるって行為がわかりやすいけど

 

母親が 私の嫌いなものを察してよ、とどこかで思っていても 察してもらえないと我慢してその気持ちを伝えない
(母親の場合 伝えるすべもわからなかったのかもしれないが)
そして 嫌いなものを我慢して食べたくないから 隠れて捨てる

 

物事のとらえ方は一面だけではないと思うので 別のとらえ方をすれば

 

まあそこには お嫁さんに世話になっているから我儘を言ってはいけないとか 逆に考えれば気遣いということにもなるけど

 

なんか凄い日本人的な気がする

 

海外で察してよは通用しない
海外ではきちんと伝えるのが世界基準だと思うわ

 

何でもかんでも自己主張すればいいってもんでもないと思うし 人間関係を円滑に保つためには いい塩梅が大事なんだろうと思うが

 

我慢してるのって はたから見ていてなんかわかっちゃうことがあるんだよね

 

あ~、本当はやりたくないんだろうな
でも本人認識していないから出来るんだろうなって

 

もうね、自分自身は我慢したくない
散々我慢してきたこともあるから もういいやって思っちゃう

 

ただの我儘にはなりたくないから コミュニケーションの仕方は考えるけど

 

こうしてほしいとか ああしてほしいとかではなく 気持ちを伝えるようにしている
そして相手の気持ちも聞くようにしている

 

ようするに すり合わせってことになるかな
感情的にならずにすり合わせが出来たら 結構落としどころはあるものだなと思う