自分の気持ちを伝えるのが苦手だった
*ちょっと重い話が苦手な方はスルーして下さいね
子どもの頃の環境が影響してるんだと思うけど
家での記憶がほとんどないから
コレが原因って確実なものは定かじゃないんだけど
離婚するときも
母親に言ったら絶対反対されるの目に見えてたし
なんでかって
誰かが離婚したって話を聞くと
我慢が足りないからだとか
努力が足りないだとか
人生失敗しちゃったよね とかよく言ってたから
まあ昔の人だから
我慢は美徳って価値観は結構普通だったのかも
たぶん自分は 子どもの頃に結構否定されてたんだと思う
だから 楽しいことは言ってもいいけど
ネガティブはことは言わないほうがいいんだと思っちゃったのかなぁ
離婚するのも大変だった
だから離婚するときも 誰にも相談することなく
弁護士を探して離婚届にサインしてもらうまで
全部一人でやったわ
離婚届にサインしてもらうまで 4~5年かかったけど
親には事後報告よ
離婚の原因は 今でいうモラハラよ
今だからモラハラだったよねと思えるけど
当時はモラハラなんて言ってる人いなかったし
離婚は事後報告だったけど
理由が理由だから 母親もしょうがないと思ったみたい
なんせ元ダンナの借金が半端なかったからねぇ
サラ金の取り立てが家に来るようになってわかったんだけど
離婚届けにサインするころには
軽く8桁はいってたんじゃないかな
家にもあまり帰ってこなくなって
多分その頃から借金してたんだと思うけど
元ダンナは変にプライドが高い人だったから
バレないようにうまくやってたんだと思う
家に帰ってこなくなった段階で
ちゃんと話せばもう少しスムーズに離婚できたかもだけど
なんせネガティブな事や自分の気持ちを伝えるのが苦手だったし
ワンオペで年子だったし
生活するのに仕事しなきゃで それどころじゃなかった
なんで離婚するのに4~5年かかったかって
元ダンナにとっては
結婚してて子供がいて家があるって 一種のステータスだったみたい
プライド高いからねぇ
だから 家に帰らなくても
他に彼女がいても 離婚はしたくなかったみたい
変化は子どもが生まれてから
子どもができるまでは 借金はしていなかった
ふたりで働いていたから余裕はあった
子どもができて 仕事との両立が難しくなって
自分が一旦仕事辞めてからおかしくなっていった感じかな
なんか あるあるなのかな
元ダンナに 離婚したい理由として
借金のことを言ったんだけど
必要経費といわれるばかり
ひと月に50万も なにが経費じゃ!と反論すれば
お前が稼いでこないのが悪いといわれる始末
プライドが高いから誰かとどこかへ行けば
全て奢っていたんだと思う
あとギャンブルもやってたくさい
手を上げられることはなかったけど
今じゃ完全にモラハラだよね
コレ、お金のことで離婚したいと言っても無理そう
面倒くさいので 離婚調停まではいかずに何とか離婚したい
で、作戦を変えることにする
どうせ浮気してるのわかっていたから
ひたすら証拠を集めて突きつけた
これが功を奏して
じわじわと離婚に向けて動き出すことになった
一旦は離婚届けにサインをしてくれたんだけど
なんということか たまに帰ってくる
出ていく気配が一向にない
これには参った
彼女のところへ行けばいいじゃんと言っても
オレの事わかってくれるのお前だけだし、とほざく
はぁ~
あたしゃお前の母親じゃねーし
背に腹は代えられない
思いあぐねて最後の一手
子どもには申し訳なかった
子どもを巻き込みたくなかったけどしゃーない
子どもに全て話しました
ふたりとも小学校の高学年だったけど
見ていて何となく察知していたんでしょうね
上の息子は わかったとひと言
下の娘は 泣いていたなぁ
でも次に元ダンナが帰って来たとき
息子がひと言
出て行け~!と怒鳴った
これをきっかけに やっと家から出て行ってくれた
スッキリしたけど
子どもには申し訳ないことをしたなと思う
その後
養育費は最初の3年くらいしか貰えなかった
きっとお金はないんだろうと思っていたから しゃーないなという感じ
何年かたって 元ダンナから連絡がきたんだけど
何用?と思ったら
まさかの お金貸してくれとな
なんそれ?
よくもまあそんなことで連絡してきたなと思い
呆れるしかなかった
しかも
「オレが浮気したから離婚されちゃったし」と言われ
開いた口が塞がらない
離婚原因の根本は「お金」だってことに気づいてなかった
流石に驚いたけど
たぶん今も借金をして自転車操業をしてるんだろうな
変わらないな
ホント 別れてよかったわ
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