ヒロ、勇者2回目まだまだレベル5

辛いことやしんどいことはもうこりごり、バツ1シングル第2の人生雑記

自分の中の内なる子どもたちの心の闇

 

内なる子どもたち

 

 

自分の中の内なる子どもたち

 

何年か前に サッカーの本田圭佑選手が
「心の中のリトルホンダが『ACミランだ』と答えた」
という名言が 有名になった

 

「リトル・ホンダ」は自分の中のもうひとりの自分
「リトル」と言っていることから 子どもよね

 

自分の中のもう一ひとりの自分
本田選手の場合は 子どもの自分ということでしょう

 

とてもわかりやすい

 

自分自身に中には 本田選手の言うような子どもはいなかった
自分の中の内なる子どもたちは
もう死んでいるか、狂っているか、病んでいるか 

 

 

ただ 深い闇の中にいた

 

全て 自分自身が置き去りにしてきた子どもたち
もちろん意識的に置き去りにしてきたわけではない

自分自身は 家庭生活の記憶がほとんどない
母親との折り合いが悪かったのが原因だと思うが 家庭内での記憶だけがすっぽりと抜け落ちている

 

自分自身を知るために悪戦苦闘した結果 少しは思い出したこともあるけど それはほんの一部に過ぎない

 

自分の中の内なる子どもたちは 自分自身が抜けて記憶をなくしている間 家庭内での全てを請け負っていてくれた子どもたち

 

 

死んでいるか、狂っているか、病んでいるか、なので
もちろん会話は成り立たない

 

ひとりひとりに名前を付けて 
ただ 抱きしめるだけ
ただ 「ごめんね」と謝るだけ
ただ 「許してね」と言い続けるだけ
そして 「ありがとう、愛してる」

 

 

もう何年も前のことで 記録もしていないので 何人の子どもがいたかまでは覚えていない
ただ 時間的には結構長い年月取り組んでいた

 

心理学のことも詳しくないし カウンセリングも受けたことがないので このやり方が正しいのか正しくないのかはわからない
全ては自分自身の感覚に従ってやっていた

 

 

そしてすべての子どもたちはいなくなった

 

ある日 何かがはじけるような感覚とともに 子どもたちはいなくなった

 

たぶん 大人の自分自身がその子たちを理解しようとしたこと、わかろうとしたことでその子たちは満足出来たからだと勝手に思っている

 

自分自身の中の 置き忘れた感情や未消化の感情は それが満たされるまで どこへも行けずにとどまり続けるしかないのかもしれないと思う

 

感情は 感じ切って満足して もうおなか一杯だぁとならないと くすぶり続けるのかもしれない

 

 

これらは あくまでも個人的体験と感覚によるものなので 実際にカウンセリングを受けたわけではないのであしからず

 

ただ この体験は自分自身を大きく変えたと思う
それまでは自分のことが大っ嫌いだったけど 好きになれた
愛おしくなれたんだよね

 

うまく言えないけど 自分自身を許せたってことなのか 受け入れられたってことなのか そんな感じだと思う